「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、ただ一つしかない。それは______である」
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- 投稿者:admin | 2020年4月24日
1 :キタッピー(東京都) [DE]:2020/04/24(金) 04:11:07 ?2BP ID:Ac9ewv+z0●.net
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「B面の岩波新書」に掲載された、藤原辰史『パンデミックを生きる指針 歴史研究のアプローチ』から抜粋
第五に、危機の時代に立場にあるにも関わらず、情報を抑制したり、情報を的確に伝えなかったりする人たちに異議申し立てをやめないこと。台湾の保健省大臣のように、体力的にも知能的にも、何時間でもどんな質疑が来ても誠実に応答できる人間だけが、政治を担うことができる。
また、インターネット上の新聞記事は、個人の生命に関わる重要な記事にもかかわらず、有料が多い。情報の制限が一人の救えたかもしれない命を消すこともあるのだ。せめて新型コロナウイルスに関する記事だけでも無料で配信するのが、メディアの社会的責任である。
日本は、各国と同様に、歴史の女神クリオによって試されている。果たして日本はパンデミック後も生き残るに値する国家なのかどうかを。クリオが審判を下す材料は何だろうか。危機の時期に生まれる学術や芸術も指標の一つであり、学術や芸術の飛躍はおそらく各国で見られるだろうが、それは究極的には重要な指標ではない。死者数の少なさも、最終的な判断の材料からは外れる。
試されるのは、すでに述べてきたように、いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うかである。いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である。
武漢で封鎖の日々を日記に綴って公開した作家、方方は、「一つの国が文明国家であるかどうか[の]基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、
花火が絢爛豪華とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」(日本語訳は日中福祉プランニングの王⻘?)と喝破した。
この危機の時代だからこそ、危機の皺寄せがくる人びとのためにどれほどの対策を練ることができるか、という方方の試金石にはさらなる補足があってもよいだろう。
危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる。危機以前からコロナウイルスにも匹敵する脅威に、もう嫌になるほどさらされてきた人びとのために、どれほど力を尽くし、パンデミック後も尽くし続ける覚悟があるのか。皆が石を投げる人間に考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさを、どこまで抑えることができるのか。これがクリオの判断材料にほかならない。
「しっぽ」の切り捨てと責任の押し付けでウイルスを「制圧」したと奢る国家は、パンデミック後の世界では、もはや恥ずかしさのあまり崩れ落ちていくだろう。
(全文はこちらで読めます)
https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic
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