引用元
1 :名無しさん@涙目です。:2024/05/06(月) 23:06:01.76 ID:gV7IEABE0.net ?2BP(1500)
https://img.5ch.net/ico/odenmen2.gif
「融通の利かない律儀者」ゆえ、なにごとにも忖度ない行動が仲間たちを寄せ付けなかったことで、関ヶ原敗戦の遠因にもなったという説が残る石田三成(いしだみつなり)。そのことで人情やカリスマ性が欠落していたというイメージがつきまとう三成だが、別の見方をすることで「幸せな武将」であったという話がある。
誰にも毀誉褒貶(きよほうへん/悪く言われたり褒められたりすること)はあるが、石田三成については「関ヶ原」で敗れたためか、三成への誹謗中傷は甚(はなは)だしかった。三成の評価は一貫して「毀」と「貶」だけであった。
だが、近年のNHK・大河ドラマなどで演じられる三成像が徐々に「誉」と「褒」に傾いてきたこともあり、人気が上がっている。
その意味では最近、最もイメージチェンジが図られた戦国武将が三成であろう。
略
やはり、家康と三成の違いは「カリスマ性」の差ではなかったか。それが「関ヶ原」では勝敗を分けたことになろう。関ヶ原合戦の後、捕縛された三成は六条河原で斬首された。
しかし、残された三成の遺児(3男3女)は、1人も殺されることなく寿命を生きた。娘たちは生き延びて後、それぞれに名のある武将に嫁ぐ。息子3人も、家康は命を取らなかった。この時代としては珍しいこととされる。嫡男・隼人正(重家)は京都・妙心寺の寿聖院に逃れ、ここで出家して103歳という信じられない年齢までを生きた。2男・重成は後に津軽藩に仕え「杉山源吾」と改名した。後には石田一族の消息などを知り結束を図る役割を果たしたという。3男・佐吉は出家し、最終的には甲州・河浦山薬王寺まで行き、後にこの寺の16世住持となって83歳の天寿を全うしている。
家康が、三成の「義」に対し「なにがしか」響き合う心を持っていたからではないか。家康の孫に当たる水戸光圀(みとみつくに)は『桃源遺事』という著書の中で「石田治部少輔三成は、にくからざるものなり。人それぞれその主のために行うという義によって、心を奮い立たせ、事を為す。(だから)仇といえども憎むべからず。君臣ともに良く心得るべきである」と書いている。光圀が、当時の家康の代弁をしているかのように思える文章である。
https://news.yahoo.co.jp/articles/003bb0a44604c96dc543f882121ba95f5d0624e7
14 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/06(月) 23:47:15.98 ID:O7y9H7yJ0.net
石田三成は今の常識に当てはめると一番マトモな人だぞ。
ただ、武士何だから読み書き算数ぐらいやれ。収める領地の領民の事を考えろ。帳簿を付けろ。とか言うので、恨まれた。
鴨川の葦から税金取ったり、本当に頭の良い人だった。
18 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/06(月) 23:55:18.01 ID:sKAW8L8b0.net
>>14
今の常識に当てはめると完璧なアスペだから人徳などあるわけがない
29 :
:2024/05/07(火) 00:59:14.54 ID:NSRqcWBA0.net
>>18
やっぱりそうだよな
色んな物語での描かれ方が
アスペルガーのそれ
37 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 03:14:22.55 ID:4c1eun2T0.net
>>29
自閉症の中でも積極奇異型ってアスペに該当しそうだね
会話が大好きだけど独りよがりで空気読めないので孤立しがち
このタイプは天才的なほど頭が切れる人が多いようだがなにしろキモいので友達がすくない
19 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 00:00:25.50 ID:Whr6p8d70.net
>>14
平和な時代に生まれるべきだったか
まあ正直負けた側の人間は歪んだ情報ばかり残るから実際の所は分からんが
43 :
198964:2024/05/07(火) 05:34:32.14 ID:NnAMH1r00.net
>>14
近代軍の士官将校を養成する発想を先取りし過ぎたな
幕末の人間だったら明治政府の元勲まで行けたな
46 :
名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]:2024/05/07(火) 06:57:16.68 ID:Dm0D1kOs0.net
>>14
自分は前線出ないで、太閤の威光で年上にもあれこれ命令すれば嫌われるさ
87 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 13:11:04.32 ID:eaIW2oTX0.net
>>86
薩長の田舎者は分もわきまえず「攘夷」とか言ってたわけで、認識力は幕府よりも明らかに劣っていたと思うよ
しかし幕府という凝り固まった体制を拠り所にして武家社会の意識改革や産業改革を行うの無理だったでしょ
良いものを巻き添えにしてでも悪いものを吹き飛ばす、そういう文化が当時には必要だったと思うわけよ
96 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 14:24:12.43 ID:uUVwE0VO0.net
>>87
薩長が田舎ねえ
当時の日本ってそのあたりよりも田舎の地域ばかりではないのか?
104 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 20:20:29.77 ID:VnpB57l+0.net
>>87
政権取ったあとで、攘夷なんておくびにも出さなくなったんだから、スローガンとして倒幕の理由付けに利用しただけだろ?
134 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/09(木) 10:08:12.07 ID:gbF1hgSF0.net
>>104
攘夷ってのが、最速で日本人に国家意識、民族意識を持たせるスローガンだったということだな
今となっては書物の上でしか知る由もないが、当時の人間の肌感覚としては
本当に差し迫った民族的危急存亡事態だったのだろうね
147 :
名無しさん@涙目です。(みかか) [US]:2024/05/09(木) 19:09:20.37 ID:1LkLw2pB0.net
>>104
攘夷連呼して外人を斬り殺したりしてたテロリストは先陣切って突っ込んで大体死に絶えたからな
それを見てた後進が攘夷とか非現実的で不可能だわこれと方針転換して出来たのが明治新政府という名の薩長連立政府
154 :
名無しさん@涙目です。(東京都) [US]:2024/05/09(木) 19:46:50.75 ID:H5B5bLFU0.net
>>104
異人嫌いの孝明天皇が突然崩御したので攘夷を続ける理由が無くなったからな
孝明天皇全振りの徳川慶喜と松平容保は、忠臣から逆賊への大誤算
1 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/06(月) 23:06:01.76 ID:gV7IEABE0.net
?2BP(1500)
https://img.5ch.net/ico/odenmen2.gif
「融通の利かない律儀者」ゆえ、なにごとにも忖度ない行動が仲間たちを寄せ付けなかったことで、関ヶ原敗戦の遠因にもなったという説が残る石田三成(いしだみつなり)。そのことで人情やカリスマ性が欠落していたというイメージがつきまとう三成だが、別の見方をすることで「幸せな武将」であったという話がある。
誰にも毀誉褒貶(きよほうへん/悪く言われたり褒められたりすること)はあるが、石田三成については「関ヶ原」で敗れたためか、三成への誹謗中傷は甚(はなは)だしかった。三成の評価は一貫して「毀」と「貶」だけであった。
だが、近年のNHK・大河ドラマなどで演じられる三成像が徐々に「誉」と「褒」に傾いてきたこともあり、人気が上がっている。
その意味では最近、最もイメージチェンジが図られた戦国武将が三成であろう。
略
やはり、家康と三成の違いは「カリスマ性」の差ではなかったか。それが「関ヶ原」では勝敗を分けたことになろう。関ヶ原合戦の後、捕縛された三成は六条河原で斬首された。
しかし、残された三成の遺児(3男3女)は、1人も殺されることなく寿命を生きた。娘たちは生き延びて後、それぞれに名のある武将に嫁ぐ。息子3人も、家康は命を取らなかった。この時代としては珍しいこととされる。嫡男・隼人正(重家)は京都・妙心寺の寿聖院に逃れ、ここで出家して103歳という信じられない年齢までを生きた。2男・重成は後に津軽藩に仕え「杉山源吾」と改名した。後には石田一族の消息などを知り結束を図る役割を果たしたという。3男・佐吉は出家し、最終的には甲州・河浦山薬王寺まで行き、後にこの寺の16世住持となって83歳の天寿を全うしている。
家康が、三成の「義」に対し「なにがしか」響き合う心を持っていたからではないか。家康の孫に当たる水戸光圀(みとみつくに)は『桃源遺事』という著書の中で「石田治部少輔三成は、にくからざるものなり。人それぞれその主のために行うという義によって、心を奮い立たせ、事を為す。(だから)仇といえども憎むべからず。君臣ともに良く心得るべきである」と書いている。光圀が、当時の家康の代弁をしているかのように思える文章である。
https://news.yahoo.co.jp/articles/003bb0a44604c96dc543f882121ba95f5d0624e7
51 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 08:52:13.55 ID:dVylsgc10.net
61 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 10:09:41.71 ID:HMTic4Te0.net
84 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 12:50:28.40 ID:RWKzlbHJ0.net
>>1
水戸光圀は韓国の名将 李舜臣を高く評価していた
李舜臣は水軍を巧みに操り、何十倍もの勢力を持つ日本軍を見事撃退してみせた
その勇猛さは徳川家康も高く評価し、日本にも李舜臣のような武将がいればと悔しがっていたという逸話がある
106 :
名無しさん@涙目です。(東京都) [US]:2024/05/07(火) 21:35:08.53 ID:ObtZJrGW0.net
>>84
光圀は後金(清)に攻められ滅亡寸前の明に援軍を送るよう幕府に進言している
既に朝鮮は後金の軍門に下っているので、
幕府援軍と後金の戦場は再び朝鮮半島になっていたはず
その世界線の朝鮮での光圀の評価は、徳川の威光を笠に半島で悪行漫遊する超時空副将軍と称されたであろうw
49 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 08:38:10.89 ID:mIusyxDE0.net
家康は水戸を将軍継承順位としては御三家の中で1番下の3番手にした
その水戸家からの初の将軍が慶喜で慶喜は戦えば長州のチンピラ如きに負けなかったのに逃亡して土下座して幕府の家臣たちを見捨てた
57 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 09:16:43.54 ID:eaIW2oTX0.net
>>49
薩長を倒したところで幕府の文化じゃ欧米には勝てないからな
社内の勢力争いで革新派のライバルや若手を潰したところで競合他社に破れて没落するのと一緒
86 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 13:02:18.52 ID:mIusyxDE0.net
>>57
昨今は幕臣の方が西洋の文明を積極的に勉強して取り入れてたとか言われてるやん
薩長のチンピラは皇族をアレして日本をパクっけど何も分かってなかったから幕臣を取り込むしかなかったし、国を乗っ取ってから一刻を争う状況なのに改革政策を進めるなって念書書かせて泥縄で西洋にお勉強しに行ったりしてるんだぜ
95 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 14:21:53.29 ID:uUVwE0VO0.net
>>86
伊藤博文「高等教育機関には理系教育も必要」
元幕臣「官僚を育成するのに理系は必要ない。ああいうのは外国人にまかせておかば良い」
伊藤博文「だめだこいつら」
99 :
名無しさん@涙目です。(庭) [JP]:2024/05/07(火) 14:49:30.65 ID:Ub2ElngK0.net
>>95
その理系を旧幕臣や戊辰戦争で賊軍にされた藩の子弟連中が占めていた件について
冷遇された彼らは出世しようとすれば医者か技師か学者になるしかなかったからね
頭がないやつは軍人になる旧日本軍に東北や北陸といった旧幕府軍藩出身ばかりいたのはそれ
69 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 11:09:41.97 ID:uUVwE0VO0.net
>>49
>長州のチンピラ如きに負けなかった
九分九厘負ける
そもそも前哨戦の長州征伐で負けたからこそ逆襲されている状況なわけで
鳥取藩や彦根藩などが長州支持に回った鳥羽伏見で勝てるわけがない
71 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 11:44:15.07 ID:Ub2ElngK0.net
>>49
朝敵にされた幕府側の負けは避けられない
慶喜も「錦旗が立った」と聞いただけで恐れをなして逃げ出したように朝敵認定されると
大名が一斉に寝返るから無理
親藩の尾張や越前にさえソッコー寝返り食らったでしょう
113 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 07:58:47.85 ID:PW6fx2Wn0.net
現場で血と汗を流して武勲を勝ち取って出世してきた人たちからするとオーベルシュタインみたいな奴が気に食わないってのは理解できる
116 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 08:03:28.73 ID:2dIlbBdJ0.net
>>113
毛利輝元を総大将に祭り上げて自分は参謀ポジションにつきたがったが、毛利が全くやる気なくて裏切ったんだろ
120 :
198964:2024/05/08(水) 08:28:34.05 ID:p5DlexZF0.net
>>116
今で言えば補給輸送・会計のスペシャリストで戦闘職種には向いてない人間なのに
122 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 08:41:47.20 ID:+zeffj2F0.net
>>116
毛利のやつラインハルトだと思ったらブラウンシュヴァイクだったでござるwww
125 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 12:48:48.05 ID:g+JUbtfX0.net
>>119
和睦した相手を大軍で後ろから騙し討ちしたのに
逆襲されて討ち死にするシーンは
ある意味涙なしには見れないな
あまりにも無様過ぎて
130 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 17:45:24.18 ID:jkAf7yuR0.net
>>125
逆
李舜臣は日本人兵士にも家族がいるだろうと、大敗した日本軍と和睦し、国へ逃がそうとした
だが、李舜臣を背後から襲うなど反省が見られない態度だったため、日本軍を完膚なきまでに叩きのめし、敗走させた
141 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/09(木) 12:55:23.92 ID:lzL7weLY0.net
>>130
こういう嘘の歴史ばかり教えられているんだろう。気の毒でならない。
135 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/09(木) 10:12:51.06 ID:gbF1hgSF0.net
>>125
まあでもなあ
彼の立場、国情、持ち駒で考えたらそういう外道戦術しか選択肢がなくなってくるのかもね
弱兵で大軍とか、戦うのにも食わすのにも管理するにも頭痛が絶えなかったろう
40 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 03:40:05.72 ID:1FGYBKpi0.net
>>38
実際は安政の大獄やったキチガイ
身内のはずの水戸藩浪士に天中殺
67 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 11:03:21.22 ID:uUVwE0VO0.net
>>40
井伊直弼や間部詮勝を擁護するならば
挙国一致体制の維持のために一橋派や急進派を粛清するのは当たり前のこと
そこまで悪く言われるようなことはしていない
75 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 12:02:16.62 ID:Ub2ElngK0.net
>>67
井伊直弼はやり過ぎたから桜田門外の変のあとに
減封→伊達家同様に侯爵になれず
直弼の手下は暗殺やさらし者にされる
安政の大獄関係者は暗殺続出
した2chMate 0.8.10.182/Google/Pixel 7/14/LR
94 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 14:20:22.89 ID:uUVwE0VO0.net
>>75
減封分のうち五万石は会津に京都守護職の役料として持っていかれたが
松平容保は井伊直弼が後見人として目をかけていた恩を忘れて
収穫を待たずすぐに引き渡すように催促してきたので
彦根藩もただ奪われるのはシャクなので青田刈りしてから引き渡すなど両藩の関係は険悪になった
それから彦根藩は一会桑政権に冷遇されることになった
97 :
名無しさん@涙目です。(庭) [JP]:2024/05/07(火) 14:43:31.39 ID:Ub2ElngK0.net
>>94
会津藩は水戸藩の親族なのに井伊は後見してたの?
松平容保の祖父は水戸藩の庶子で徳川斉昭の叔父にあたるその庶子の子を会津藩が養子にして藩主しさらにその藩主が甥の容保を養子にと立派な水戸の家系よ
井伊死後に幕府で水戸討伐の話が持ち上がったときにその縁で幕府と水戸藩の周旋をやって和解させたからその腕が買われて京都守護職へ
82 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 12:34:38.88 ID:1FGYBKpi0.net
>>67
幕府方の人材皆殺しにされたから慶喜は薩長に政権明け渡すしかなくなったんやで
103 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 19:47:08.72 ID:duNBurs20.net
110 :
:2024/05/08(水) 06:13:00.84 ID:X80PLFNK0.net
>>103
領内、江戸との行き来と鎌倉に行ったらしい
駕籠は酔うから嫌いで歩いた
そのイメージが漫遊記になった
114 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 08:01:09.90 ID:+k7+M3bF0.net
まあよくよく考えたら部下として欲しいのは
報酬次第で裏切るようなやつより
無骨につき従ってくれる方だもんね
117 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 08:09:03.52 ID:ITx7NqAt0.net
>>114
水戸光圀は、韓国の李舜臣を高く評価していた
義に厚く、部下の心を掌握し、わずか数百の水軍で日本の10万の軍を見事撃退した武勇のある李舜臣が家臣にいれば、天下を取れただろうとも考えていた
123 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 08:52:21.75 ID:0lWeYrpM0.net
136 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/09(木) 10:24:09.41 ID:lLiMym890.net
128 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 15:33:55.50 ID:WhLaBXRe0.net
>>127
背後を狙おうと襲いかかったら殿の島津に矢や鉄砲射掛けられて多くの朝鮮将兵が海にドボンして溺死
131 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 17:46:10.11 ID:jkAf7yuR0.net
149 :
名無しさん@涙目です。(大阪府) [ヌコ]:2024/05/09(木) 19:12:01.05 ID:kWecSBhD0.net
153 :
名無しさん@涙目です。(岐阜県) [US]:2024/05/09(木) 19:44:51.05 ID:Jk3jfE0k0.net
>>149
三成は後年秀吉子飼い連中と
仇敵関係だから忘れられてるけど
ねね様釜飯組の一人だから
茶々さまに対して好感情ナッシングだぞ
寧ろ側室の分際で北政所様にあの態度は何だと
憤慨してた記録すらある
53 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 09:08:00.15 ID:Dm0D1kOs0.net
>>52
石田は馬鹿って意味だろw
頭いい奴はその時の強い方につくからなw
56 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 09:12:48.92 ID:eaIW2oTX0.net
66 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 10:59:02.58 ID:uUVwE0VO0.net
>>15
少なくない犠牲を払ったにも関わらず
生き残っていれば明治政府で要職に付けたであろう人材を
微妙なタイミングで粛清してしまった水戸藩
101 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 15:31:57.57 ID:Ub2ElngK0.net
>>66
水戸の内ゲバは凄惨過ぎて幕府側倒幕側双方からドン引きされたからね
ちなみにこのへんから血盟団とか戦後は赤軍派といった過激派が沢山出てきた
80 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 12:23:08.39 ID:T5Ah6dkS0.net
大河ドラマ独眼竜政宗では真田広之が演じてたな
秀吉が勝新太郎、家康が津川雅彦
100 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/07(火) 15:15:24.17 ID:cYWSt8LC0.net
89 :
!dongri:2024/05/07(火) 13:16:47.91 ID:ksRwpVgV0.net
132 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 18:45:20.80 ID:k1yFwzBW0.net
>>89
これ。「どうする家康」ではなく、「どうする三成」にすべきだった。
前半は秀吉の無理難題にお腹下しながらどうにかしていくストーリー。
後半は家康や煮えきらない他の五大老や秀吉旧家臣の尾張派(武断派)の反感反発にお腹下しながらどうにかしよとしてどうにもならなくなって行くストーリー。
102 :
:2024/05/07(火) 19:39:38.19 ID:XOpJvEsq0.net
水戸天狗党の仲裁を行った武田耕雲斎が逆に首領に
なってしまい子・孫・嫁まで斬首
流石に孫を斬るのを躊躇った斬首人に代わって「俺がやる」
そいつは維新後、首を晒した場所に首を晒された
108 :
名無しさん@涙目です。(東京都) [US]:2024/05/07(火) 22:18:19.91 ID:WVUF/DYW0.net
そもそも本人と面識があったわけでもなし
そもそも生まれてすらいなかったんだから
そんな人が評価してたといわれても歴史家が評価してるのと変わらんのでは
115 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 08:01:35.08 ID:n3ZREtPa0.net
実際はどうだったかなんてわかんないけど
冴え渡る頭脳を持ちながら
沈み行く豊臣について行ったんでしょ
徳川家康からしたらなんでよ勿体無いって思うよね
118 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 08:13:17.22 ID:3IisvPU60.net
121 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 08:34:57.01 ID:2dIlbBdJ0.net
>>120
総大将はそれぞれのスペシャリストを使いこなせれば自分は戦闘向きじゃなくても良い
肝心のカリスマ性がなかった
124 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 08:58:52.12 ID:y8Ewc8+x0.net
大一大万大吉
一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる
何百年も前にOne for all,all for oneを説いてた人だ
126 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/08(水) 13:05:07.56 ID:T2SO1Etm0.net
138 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/09(木) 12:34:33.27 ID:HVtJLNSL0.net
官僚としては有能。武将としては下の下。
情もあって飢饉のときに減税して管轄の村を壊滅から救ったと言ったら当たり前のことと思うかもしれないが当時それがやれる人が稀だった。
139 :
:2024/05/09(木) 12:54:14.99 ID:TAx9QVuK0.net
家康が評価してたのは敵方ながら三成
あとは池田など若干の側近だが、福島正則や加藤清正には信頼を置かず早期に取り潰すつもりだった
伊達政宗については警戒を怠らず、副将軍(臨時職でただの称号)、家光の養育係として厚遇しつつ監視していた
140 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/09(木) 12:54:44.77 ID:A8nrdr170.net
>>138
善政の塊みたいな親父の影響だろうな
それが普通なんだろ石田家では
143 :
名無しさん@涙目です。:2024/05/09(木) 13:10:10.15 ID:HVtJLNSL0.net
>>142
徳川の兵力を減らさないための作戦だったと見てる。実際外様こき使って自分の兵はほとんど手付かず。
145 :
名無しさん@涙目です。(岩手県) [US]:2024/05/09(木) 18:58:21.07 ID:4oqLCHDE0.net
平安時代も糞長いのに
比較的新しい江戸時代が大体ボリューム同じくらいって子供騙しだよな。
どんだけ文献が散逸してんだ。何時もの愚痴だけどさ
152 :
名無しさん@涙目です。(ジパング) [CN]:2024/05/09(木) 19:26:39.53 ID:o07XYHU70.net
>>150
韓国では石田三成のようなタイプの官僚は多い
調べるといい
155 :
:2024/05/09(木) 21:18:11.55 ID:HY+eLkTQ0.net