野球ボールを爆弾と怪しまれたイラン監督時代 月収3万円足らず、異文化で戦った日本人【野球こぼれ話】 [愛の戦士★]

1 ::2023/03/10(金) 13:19:39.75 ID:z6NnvgfZ9.net
THE ANSWER 3/10(金) 10:34

茨城アストロプラネッツ・色川冬馬GMインタビュー「こぼれ話」
24歳で野球イラン代表監督になった色川氏。空港ではボールを爆弾だと間違われカルチャーショックを受けたことも

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開催期間中、「THE ANSWER」が連日発信している企画「ベースボールの現在地」に登場した独立リーグ茨城アストロプラネッツGMの色川冬馬氏。インタビューの中で掲載できなかった、野球イラン代表監督時代の「こぼれ話」をここで紹介する。

 ◇ ◇ ◇

 現役時代は米国のほか、プエルトリコやメキシコなどでプレーした色川氏。2013年、日本の指導者を求めていたイランに渡り、代表監督となった。

 野球人口は「500人いれば良い方」。野球場、スタジアムともに国内に1つしかなく、トップ選手の実力は日本の公立高校の球児レベルだったという。反アメリカの立場から野球を良しとしない政治家もいるほどで、細かいルールに関しては知らない国民がほとんどだった。

 カルチャーショックを受けたことも少なくないが、印象に残るのは飛行機移動での出来事。色川氏が尊敬する指導者のサイン入り野球ボールが、空港の手荷物検査で引っかかった。

「これは何だ」。爆弾が入ってるんじゃないかと怪しまれた。「僕にとって大切なもの。丁寧に扱ってくれ」と説明した瞬間、ボールを床に叩きつけられた。「いや、仮に爆弾だったら爆発するだろ……」。驚いたが、それだけ野球が知られていないことを実感した。

 就任当時はまだ24歳。若き外国人監督を良く思わない立場の人間から、引きずり降ろそうと画策されたこともある。いかにして信頼を築いていったのか。

「コミュニティに積極的に入る。イランの一般のお宅に泊まることもありましたが、そうすると気付くこともあるんです」

 食べ物一つとっても、主食やデザートにその土地ならではの考え方がある。身をもって体験することで“イラン流”の理解に繋げた。

イラン社会での受け入れは「日本の先人」のおかげ

 当時、イランの野球界は一枚岩ではなかった。最も強かった首都テヘランのチームの監督が、代表監督も兼務する状態。イラン代表=テヘラン代表と言えるほどで「その監督に気に入られることが代表選手になる道だった」。当然、反発する選手や指導者もいたが、権力に立ち向かった結果、憂き目を見ることがほとんどだったという。

「その構図ができてしまって、野球を諦めている人たちが多かった」

 色川氏が尽力したのが「本当のイラン代表」を作ること。まだ代表監督になる保証がない段階から13都市を駆け巡り、その町の“ボス”に野球の可能性を伝える。地道な活動がやがて実った。

 晴れて代表監督になった色川氏は2015年2月、16年間で国際大会1勝しかしていなかったイランを西アジアカップ準優勝に導いた。本編で紹介した通り、月収200ドル(現在で約2万7000円)の厳しい監督業で掴んだ栄誉だった。

 イランで活動する中で、日本の先人に感謝したことは数知れない。

 保守的なイラン社会で、若き日本人の自分が受け入れてもらえたのはなぜか。陰口を叩かれることもあったが、日本人と分かると相手の態度が変わった。

「僕はイラン人なんか誰も知らなかったし、彼らだって僕が何者かなんて分からなかったと思います。でも、日本人という理由だけでおもてなしを受けられる。これはどこかの大先輩が何かを彼らに残したということ。それが100年後か、何十年後か分からないですが、僕を助けてくれた。この辺りから、僕は次世代の子がもっといい待遇をしてもらえるようにと考えてやってきました」

育てたい「国家観ある国際人」とは

※全文・詳細はリンク先で
THE ANSWER編集部・宮内 宏哉
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/610b9249a6834903e8d8d6d30314e36fa2321a8b&preview=auto


イランで“真の代表作り”に奔走した色川氏(右上)。異文化で受け入れられたのは日本の先人のおかげと感謝する【写真:球団提供】

1 ::2023/03/10(金) 13:19:39.75 ID:z6NnvgfZ9.net

THE ANSWER 3/10(金) 10:34

茨城アストロプラネッツ・色川冬馬GMインタビュー「こぼれ話」
24歳で野球イラン代表監督になった色川氏。空港ではボールを爆弾だと間違われカルチャーショックを受けたことも

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開催期間中、「THE ANSWER」が連日発信している企画「ベースボールの現在地」に登場した独立リーグ茨城アストロプラネッツGMの色川冬馬氏。インタビューの中で掲載できなかった、野球イラン代表監督時代の「こぼれ話」をここで紹介する。

 ◇ ◇ ◇

 現役時代は米国のほか、プエルトリコやメキシコなどでプレーした色川氏。2013年、日本の指導者を求めていたイランに渡り、代表監督となった。

 野球人口は「500人いれば良い方」。野球場、スタジアムともに国内に1つしかなく、トップ選手の実力は日本の公立高校の球児レベルだったという。反アメリカの立場から野球を良しとしない政治家もいるほどで、細かいルールに関しては知らない国民がほとんどだった。

 カルチャーショックを受けたことも少なくないが、印象に残るのは飛行機移動での出来事。色川氏が尊敬する指導者のサイン入り野球ボールが、空港の手荷物検査で引っかかった。

「これは何だ」。爆弾が入ってるんじゃないかと怪しまれた。「僕にとって大切なもの。丁寧に扱ってくれ」と説明した瞬間、ボールを床に叩きつけられた。「いや、仮に爆弾だったら爆発するだろ……」。驚いたが、それだけ野球が知られていないことを実感した。

 就任当時はまだ24歳。若き外国人監督を良く思わない立場の人間から、引きずり降ろそうと画策されたこともある。いかにして信頼を築いていったのか。

「コミュニティに積極的に入る。イランの一般のお宅に泊まることもありましたが、そうすると気付くこともあるんです」

 食べ物一つとっても、主食やデザートにその土地ならではの考え方がある。身をもって体験することで“イラン流”の理解に繋げた。

イラン社会での受け入れは「日本の先人」のおかげ

 当時、イランの野球界は一枚岩ではなかった。最も強かった首都テヘランのチームの監督が、代表監督も兼務する状態。イラン代表=テヘラン代表と言えるほどで「その監督に気に入られることが代表選手になる道だった」。当然、反発する選手や指導者もいたが、権力に立ち向かった結果、憂き目を見ることがほとんどだったという。

「その構図ができてしまって、野球を諦めている人たちが多かった」

 色川氏が尽力したのが「本当のイラン代表」を作ること。まだ代表監督になる保証がない段階から13都市を駆け巡り、その町の“ボス”に野球の可能性を伝える。地道な活動がやがて実った。

 晴れて代表監督になった色川氏は2015年2月、16年間で国際大会1勝しかしていなかったイランを西アジアカップ準優勝に導いた。本編で紹介した通り、月収200ドル(現在で約2万7000円)の厳しい監督業で掴んだ栄誉だった。

 イランで活動する中で、日本の先人に感謝したことは数知れない。

 保守的なイラン社会で、若き日本人の自分が受け入れてもらえたのはなぜか。陰口を叩かれることもあったが、日本人と分かると相手の態度が変わった。

「僕はイラン人なんか誰も知らなかったし、彼らだって僕が何者かなんて分からなかったと思います。でも、日本人という理由だけでおもてなしを受けられる。これはどこかの大先輩が何かを彼らに残したということ。それが100年後か、何十年後か分からないですが、僕を助けてくれた。この辺りから、僕は次世代の子がもっといい待遇をしてもらえるようにと考えてやってきました」

育てたい「国家観ある国際人」とは

※全文・詳細はリンク先で
THE ANSWER編集部・宮内 宏哉
https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/610b9249a6834903e8d8d6d30314e36fa2321a8b&preview=auto


イランで“真の代表作り”に奔走した色川氏(右上)。異文化で受け入れられたのは日本の先人のおかげと感謝する【写真:球団提供】

5 :新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで:2023/03/10(金) 13:25:34.29 ID:utKZErk60.net

>>1
地雷を持ち歩いていたTBSの記者の話はやめろ

18 :新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで:2023/03/10(金) 14:59:16.33 ID:QunH767P0.net

>>5
クラスターじゃなかった?

19 :新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで:2023/03/10(金) 15:08:43.87 ID:beEIDUVL0.net

>>7
pineappleは流石に無いやろ

トリビアか何かで野球を知らない人にルールを一切教えず道具一式渡したらどうなるか?
みたいなんやってて、アフリカのどっかの部族にグローブやらバットやら一切合切渡したらとんでもない使い方して笑ったん思い出した


31 :名無しさん@恐縮です:2023/03/13(月) 09:50:05.17 ID:cwGidOpA0.net

>>19
これって結構凄い検証なんだよな。学術的価値ある。

21 :新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで:2023/03/10(金) 15:21:19.88 ID:nYYsmscW0.net

>>19
> トリビアか何かで野球を知らない人にルールを一切教えず道具一式渡したらどうなるか?

バット→近接戦闘用武器
ボール→遠距離戦闘用武器
グラブ→手に嵌めて使う防具
ヘルメット→頭に被って使う防具

予備知識が無かったら自分ならこう思うかな
狩猟用の道具かと思うかも

23 :新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで:2023/03/10(金) 15:37:57.21 ID:+JI2LCjK0.net

>>21
スポーツって基本的に戦争とか喧嘩の代替だからな
マスを回る野球のルールの成り立ちの方がすごい特殊

25 :新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで:2023/03/10(金) 16:38:41.16 ID:bYCwZMNU0.net

ゴミボマー事件思い出したわ

27 :新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで:2023/03/10(金) 17:04:28.36 ID:LHppTKeb0.net

凄まじい自己満足野郎
イランで野球など未来永劫発展せんでもいいやろ

29 :新規スレ立て人募集 社説+の募集スレまで:2023/03/11(土) 20:58:51.23 ID:VY1dfFK+0.net

美談でも何でもない
アホ

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