【音楽】宇崎竜童が鎮魂歌 松田優作さん、根津甚八さん、原田芳雄さん…他界した9人へ 29日に東京国際フォーラムでコンサート [湛然★]
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- 投稿者:admin | 2021年4月25日
1 :湛然 ★:2021/04/23(金) 05:36:12.93 ID:CAP_USER9.net
宇崎竜童が鎮魂歌 松田優作さん、根津甚八さん、原田芳雄さん…他界した9人へ 29日に東京国際フォーラムでコンサート
4/23(金) 5:01 中日スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/24901f2af3232dffcfe1a69f43c6d2644fe69706
「亡くなった9人の鎮魂歌はリハーサルでも泣いてしまう」と明かした宇崎竜童
ミュージシャンの宇崎竜童(75)が29日、東京国際フォーラム・ホールCで開催する「阿木燿子プロデュース 宇崎竜童コンサート〜風のオマージュ〜」を前に本紙の単独取材に応じた。ライブでは、宇崎と音楽、映画、舞台などでゆかりの松田優作さん、根津甚八さん、原田芳雄さんら他界した9人への鎮魂歌をそれぞれ披露するだけでなく、「ライブを通じて音楽家としての自分の決意をコロナ禍で苦しむエンターテインメント界に発信したい」とこれまでのライブとは違った高ぶりを見せている。(三橋正明)
本来なら昨年4月に開催できたはずだった。コロナ禍で延期が続き、満を持しての開催だ。9人への鎮魂歌は宇崎が提供した楽曲や故人たちが親しんだ曲を歌う。会場で映し出されるナレーションの言葉は宇崎が筆を執った。同時に紹介される9人の似顔絵も奮闘の末描いた。
「書道家ではないし、20枚書いて、また書き直して。大丈夫だと思ったら外されて…当日まで安心できないんだ」
似顔絵は「横に本人の写真を置いて描いたけど、全然似てない。マス目のある用紙も使い、トレーシングペーパーも使って結局100枚描いて9点、何とか仕上げた。画家と書道の先生になった気分だった」。
そんな努力を重ね、2部構成の1部で大きな影響を受けた故人たちに鎮魂歌をささげる。「リハーサルを繰り返しているが、最初のリハでは涙があふれてしまう。思わずにいられない。何回やってもどうしたら涙が止まるんだ、どうすれば歌いきれるか」と模索を続け、「逃げたらダメ。曲で思い出はさらに熟成していくんだと思うようになった」と自身を納得させた。
その上で「まだ阿木(燿子さん)の許可をもらってないんだが」と前置きし、「会場に9人の席を設けたい。葬儀やお別れ会に出られなかった人もいる。コンサートに天国から降りてきてもらい、見送りたいんだ。席に『菅原文太さま』とか張り紙してね」と明かした。
「みんな早く逝ってしまって。俺は根性で100歳まで生きてやると思ってる。9人だけでなく、ほかにも思いを伝えたい人たちがいる。『風のオマージュ』Vol.2、3もやりたいね」と力を入れる。
「でもね、松田優作は一緒に歩いていて握手を求められても『俺、握手嫌いだから』と断るタイプ。席を用意しても『俺、行かないから、チッ』と舌打ちしてきっと来ない。結構、みんなひねくれてるからな」と間柄を物語るジョークも。
今回のコンサートはコロナ禍の中、音楽家としての宇崎の矜持(きょうじ)を示す場でもあるという。
スタッフの中には「昨年来、宇崎さんの仕事しかない」と打ち明ける人もおり、「自分が経営していた飲食店も昨年5月に閉店させた。ネガティブにはとらえたくないが、今、3度目の緊急事態宣言とか言われ、エンターテインメントはギリギリの限界に来ている。ライブなどのイベント開催自粛という線引きはどうなっているのか。音楽家ですからライブを通じてお客さんにメッセージを発信したい」と強調した。
コロナ禍でライブも無観客配信のスタイルが目立つように。「自分はその場限りの人間。歌詞を間違えても、音程が狂っても生々しくお客さんに入っていくのがライブ。一度きりで飛んでいくもの」と信念はぶれない。
「自分のライブに100回、もしかしたら200回来てるファンがいる。俺が何をやるか歌うか知っているんで本当に困っちゃう。でも今回のライブはいつもと違う。新鮮ですよ」
◆宇崎竜童(うざき・りゅうどう) 1946(昭和21)年2月23日生まれ、東京都出身。73年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成、デビュー。「スモーキン・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」などをヒットさせ、作曲家としても妻の作詞家・阿木燿子さんとのコンビで山口百恵さんに「横須賀ストーリー」「さよならの向う側」などの楽曲を提供。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)